とつげき★マトはどこだ?(後藤くりこBlog)

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2012年02月

くりこです。私の愛読しているブログで「飲み会1回分の尺度」について取り上げられていたので私も書いてみようと思います。ただし、私の書くのはお金のない『学生の視点からみた』飲み会1回分の尺度。3000円なんてドブに捨てて構わないよ、3時間という時間のほうが重要、というかたは回れ右していってください。 349 飲み会1回分という尺度 『化学系メーカー研究職です』 上記のブログにおいては 『勝間さんの本の中で「5000円以下の本は迷わず買う。飲み会1回分と思えば高くない」というフレーズがあるらしいのですが、それを聞いたときにハッとしました。本にしてもアプリにしても、飲み会1回分よりも価値があると思えれば、すぐに買っちゃってもいいんだなーと。』 って書いてありました。いや、確かにそうでしょうよ。お金にまったく困ってなくって3000円くらいならドブに捨てても構わない人なら。でも、一般人なら、3000円をドブに捨てられない人なら、やっぱそうともいかないと思うんですよね。 そもそも本を買おうと迷うとき、迷うならやっぱり「迷わず買う」じゃなくって迷うべきだと思います。3000円、3時間でできることは意外とたくさんあります。そもそもなぜ飲み会3000円は3000円払って3時間を無駄にしているという考え方はするのに、その本を「迷わず」買っていらなかったとき、3000円と3時間をドブに捨てたという発想にはならないんでしょうか? そもそも、本当に飲み会って時間の無駄でしかないの?? たとえば、大学時代の友人はかけがえがない、なんて話はあります。そういう関係性って、利害関係とか損得計算とかを抜きにしたものによって形成されるものなんじゃないんでしょうか??そういった友人関係は大人でも変わらないと思います。ただの『3000円』で考えちゃっていいのでしょうか??   いま一度、冷静に考えてみようよっておもった。     (執筆:115~20分/文字数793字)

くrこです。昨日のゼミではみんなで『自治体の議題設定に関する時系列的分析ー松戸市の孤独氏暴政政策事例をもとにー』ということで、『孤独死』の問題についてディスカッションしました。 孤独死というのは、2001年に老人が一人で家でなくなっているのが発見されたのをきっかけとして言われるようになったことなのだそうです。ちなみにその老人は、死後3年間放置された状態で発見されました。・・・公共料金が、引き落としになっており、順調に引き落とされていたために、周りは気がつかなかったのだそうです。 友人が発表した論文の中身についてもかなり興味深いものだったのですが、そのあとの先生のコメントとして、あった『でも、孤独死という減少自体は、きっと2001年より前からあったんだろうね』というコメントにはっとしました。 たとえば、少年犯罪がすごく問題として取り上げられるようになってきたのは、まさに私たちが中学生?くらいの頃だったと思います。でも、果たして現象としての『少年犯罪』はそれまではあまりなかったのでしょうか? おそらく、これは違うだろう。 いわゆる『少年犯罪』は当時は『非行』という言葉で定義されていたのではないか。『非行』という言葉に分類されていたのではないか。 結局、人間は世界を把握するとき、外界を言葉にすることによって、切り出すことによってしか認識できない。同じ客観的現象であったとしても、それをどう言語化するのか、概念として落とし込むのかによって、把握のされ方がかわってくる。 そして、たとえ同じ現象であったとしてもそれを定義・分類した言葉・概念がことなると、どうしても社会一般では異なる社会現象として浮かび上がり、異なる社会問題として取り扱われ、浮かび上がってくるのではないだろうか?   私は政治学ゼミにおいて社会現象について取り扱うことをしているけれども、そのときには、釈迦一般で言われている言葉・概念を把握するだけでなく、その具体的現象についてもできるだけ知ることによって、現状をありのままにとらえていきたいなあ、と。 ちょっとまじめなことを考えてみた。

くりこです。ご無沙汰しています☆

今日はわたしの所属しているゼミのオープンゼミがあったので、
思い立ってゼミについて書いてみることにしました。

私の所属しているゼミは、 『筑波大学 辻中ゼミナール』
・・・『政治学』のゼミです。

ゼミ担当の先生が辻中豊教授だけでなく、久保慶明助教もいて大変贅沢なゼミです。
※2014年10月19日追記
久保センセは今は琉球大学で教鞭を執っていらっしゃいます


そしてこのゼミの本当に大きな特徴は
『どんな人でも受け入れてもらえる』
『研究テーマが自由』ということです。

私は法律専攻なのですが、辻中先生が他専攻・他学類の学生も
快く受け入れてくださるところに惹かれて
2年前からこのゼミに入りました。

ずっと自分には『なんでみんな民主主義を至上なものとして考えているの?』
『なんでポピュリズムはそんなにみんなに批判されているの?』といったことについて
関心があって、こういうことを理解するには研究がいいんじゃないの?と
(政治学の基礎講義も履修せずに←)政治学ゼミを取りました。

私の研究内容も研究のテーマ設定もハチャメチャです。
時には民主主義はだめだ鉄人政治がいいんじゃないのか?ということを考えてみたり、
時にはポピュリズムこそ、実は民主主義の局地なのではないかと思ってみたり、
時には国民は本当に考えて、民主主義のシステムの中で行動できているのか
ということを考えてみたり。 先生も私のような困った学生をよく指導してくださるなあ、
と本当に感謝しても感謝しきれないのと同時に、
先生、私のようなだめ学生に時間割いちゃっていいのかしら?
先生の時間奪ってる?と不安になっちゃいます
← というわけでなにを書いているかまったくわからない上にオチもないのだけれど、
このへんで。


参考として辻中ゼミナールのHPのURLを張っておきます。
筑波大学 辻中ゼミナール      

くりこです。馬鹿なのですごくくだらないことだけれど、書き留めておこうと思います。タイトルどおり「『明日からがんばろう・・・』ではだめな最大の理由」こっから先は、私のような馬鹿で怠け者名人間にとっては、であって、できる人にとっては、別に明日からがんばろう・・・でもいいんだと思うんでこの記事読む必要はないと思います。 それは 1日は夜からはじまるから。 んなばかな。朝起きてからだろ一日の始まりは。 そんな反応が返ってきそうだけれど、私はこれは絶対にそうだと思います。一日は夜から始まります。どうして私がこういうことを言うのか。 深夜の妙なテンションで「もーやだ!私なんてだめなやつなの!?明日から気合入れてやり直すわ!!」とおもって、その時点で2時だったとしても翌朝6時におきてバリバリ活動する!と決意をして眠ったとします。 さて、6時におきられるでしょうか? まあ、私なら確実に無理です。起きられる人はどうぞご自由に起きてください。 で、じゃあおきたとして、朝からバリバリ活動できるか? まあ、私なら確実に無理です。二度寝するか、まあよくておきたとしてもボーっとしていてとてもじゃないけれどバリバリ活動するなんてことはできません。頭が覚醒してくるまでに1時間くらいかかる。1時間後くらいにやっと頭がはっきりしてきて、何をすべきなのか考える。 で、仮にここまで順調に行って昼休み、お昼ご飯を食べたとする。もうこの後のことは想像がつくと思う。かっくんかっくん、おきているような寝ているような状態。ノートの上にミミズが這う。     もしここで発想を転換させて、夜が一日の始まりだと考えたなら。 夜のうちに翌朝の計画を立てる。だから、起きたときになにをすべきなのか眠たい頭で考える必要性がない。すぐに何をすればいいのか、おきて間もないぼけーっとした頭を使わずとも把握できる。 夜、早めに眠るようにする。翌朝の目覚めもよく、無理をしなくていい。昼ごはんを食べた後も、ちょっとは眠くなるかもしれないけれど太刀打ちできる程度。 このように、一日がハッピーにはじめられる。 やっぱり、一日の始まりは夜で間違いない。

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