くりこです。見事に目標は挫折しました。SPIのテキスト、先週半分も終わらせられなかったし、初のテストセンターも惨敗いたしました。
スーパーマンだったら、和田秀樹だったら、勝間和代だったら、・・・まあなんかすごい有名な『一般人()』だったら、きっとこの前みたいな予定でもこなしちゃうんだろうけれど、結局私は一般人なわけで。でも、さすがに目標もろくにクリアできない自分に腹が立つので敗因分析と今後の対策を練ってみた。
2012年01月
なんでそんなに乱暴な言葉遣いをしてしまうのだろう
くりこです。夜には不思議な魔力があって、何かをはじめると時間感覚がわからなくなってしまってなぜかものすごく夜ふかしをしてしまったり、なぜか必要以上に盛り上がってしまったり、そして一方でなぜか必要以上に落ち込みがちになってしまいがちな時間帯だなあ、と思います。
さて、前置きなんてどうでもいいんですが最近に限らず、よく思うのは「なんでみんなそんな汚くて乱暴な言葉遣いをしてしまうのだろう?」ということです。
もちろん、私だって美しい言葉遣いができているわけではない。
でも、なんていうの?必要以上に乱暴だなあ、って思うことが多い。
たとえば2ch
たとえばTwitter
こういう違和感を感じるのは私だけなのだろうか?ネット上の共通言語だから許容されているのだろうか? 私はどうしても、そういった場所で、誰かが誰か他人に対してすごく乱暴な言葉で接しているのを見過ごせない。
もし仮に、その相手と知り合い同士であったならば、その言葉の表面は乱暴なものであったとしても、その人とのリアルの関係性が、その人と今まで築いてきたものが、実際の言葉面よりもマイルドに相手の心に伝えてくれる。
でも、言葉面以外にその関係性を補完するものがない、ネット上の世界において、どうしてそんなに見ず知らずの人をぞんざいに扱うことができるのだろう?
相手が痛みを感じることを、イメージできないのだろうか?
いや、そもそも痛みを感じない、と思っているのだろうか?
そもそも、人とのつながりを感じられないのだろうか?
乱暴なのは言葉遣いだけではない。そもそも接し方が乱暴だなあ、と感じることが多々ある。2Chでの絡み、Twitterでの絡み。なぜ、そんなに喧嘩腰で相手を否定し、排除し、叩きのめすテンションでかかっていくのだろうか?
よくわかんない。
ネット上であれば、人との交流も、『人』との交流じゃなくなってしまうのだろうか?私は、ネット上のコミュニケーションだって、立派な『リアル』の人間関係だと思うんだけどな。
なんていう戯言。
おやすみなさい
不退去罪で訴えますよ!!!
っていう自分の寝言で目が覚めた。くりこです。まったくもってひどい目覚めです。ついでに言うと、これが私の今年始まって初の覚えている夢、です。幸先悪いなー( ´∀`)「
玄関の鍵を開けっ放しだったらしく、宗教?かなんかの勧誘がうちにあがりこんでいて、お風呂上がりのスッポンポン状態で浴室を出てきたら勧誘に来た男女と対面するという酷いシチュエーション。
いやあ、酷い寝覚めだ。
ところで、初夢って、結局いつの夢のことを言うんでしょうね。
大晦日に眠って1日にかけて見た夢、という人もいれば、1日の夜に見る夢という説もある。さらにいえば(ちょっと邪道っぽいけど)新年に入って初めて見たと思われる(記憶に残っている)夢、という説もなくはない。
で、ちょっと調べてみた。由来。
でもやっぱり諸説ありすぎてよくわからんwww
1、古くは鎌倉時代、『山家集』に登場。ただしこの頃は立春を新年の始まりとしていたため、「節分~立春」にかけてみる夢が初夢だった
2、その後暦上の元日が新年のはじまりとなったが、「大晦日~元日」という説だけでなく「元日~2日」「2日~3日」という説も。元日~2日説に関しては、大晦日~元日に眠らない風習ができたためらしい。2日~3日説は、2日に書初めやらなんやら年初の行事が盛りだくさんになってきたことから?らしい。この邪道っぽい2~3日説だが、江戸時代後期にはこれが主流だったとか。
3、 明治になると元日~2日説が主流に。
おおう、やっぱ諸説あるんだなー。ちょっと賢くなった←
神保町のアットホームなバー Bon Vivant
どうも、酒の話ばっかりでごめんなさい。くりこです。神保町にあるバーに行ってきました。神保町にあるのだけれど、文壇バーとかではなく、路地裏にひっそりとたたずむワインバー。
でも、ものすんっごいいいところだった。
連れて行ってくださった方は私に「いいものを得るためには高い授業料が要るんだよ」とおっしゃっていたから、おそらくここを見つけるまでにはかなりの見て回られたのだと思う。
なにがいいのかというと、まずは店の内装。一般的に思うバーのイメージである「お洒落な空間」とはちょっとちがって 「かわいい空間」「落ち着ける空間」
常連さんの本が並んでいたり、今度出すCDがあったり。
そしてお店にいる人たちのあったかさ。ふつう、常連さんがいるようなバーは、なかなか新参者には入りづらい。お高く留まったお洒落なところだとより一層その傾向は強くなると思う。でも、Bon Vivantではそんなことない。お店の雰囲気も変に高尚な感じではなくアットホームだし、オーナーさんがすごくきさく。集まる人たちの懐が広い。なんでも受け止めちゃう感じ。
帰り、徒歩で帰ろうと思えばいけないこともないような場所にあるし、またぜひいこう。
Bon Vivant(ボン ヴィヴァン)
月~金 19:30~01:00
東京都千代田区神田神保町1丁目64 神保町ビル1F
JR線 水道橋駅より徒歩6分/地下鉄 神保町駅A5出口より徒歩5分
03-6421-2541
http://www.facebook.com/BonVivant.tokyo
http://bar-navi.suntory.co.jp/shop/0X00042045/index.html
http://www.bargourmet.net/dt0X00042045.html
人の目を気にしながらこそこそ生きてくのはもう飽きた
どうも、くりこです。昨夜は、大学で同じ学類の友人である船山くん(@fnysss)から誘われて某出版社の編集の方々との飲み会に参加してきました。
船山君というのは大学で私が「あ、おもしろい!」って思う友達の1人です。彼自身もかなりいろんな活動をしていて、サークルで長やったりとかイベント立ち上げたりとか、そんなのが得意な人。
そんな彼がアレンジしたのが、今回の飲み会でした。
メンツは出版社の方お2方と学生5人だったんですが、まーもう、彼はきっといろんなことを考えながら人選をしていったんだろうなーと思われるメンツ。さまざまなバックグラウンドをもち、様々な活動を行っている。
ただ、ひとつ共通していたのは、船山君もその他の方々も一様に
『ひとたらし』
なこと。それぞれ手法も活躍する分野もことなるのだけれど、不思議となにかしら興味をそそられるものがあり、不思議と何かしら応援していきたくなる。
人に迎合しているわけではない。むしろ反対意見はきちんとはっきりのべていくような人たち。
敵だって、いないわけじゃない。(2chでdisられたなんて経験が豊富な人も。)
でも、なんっていうの?
なんっか応援したくなっちゃうんだな。
あたりさわりを好まない生き方は、争いが少なく生き易くて、そこそこに楽しく暮らせるんだろうと思う。でも、彼らみたいな人たちは、衝突を産んだり、それでつらい目に逢ったりなどなどという事件も多分、絶えない。でも、その分とがっていけてそのとがってる部分を気に入った人たちが応援してくれる。幸せの振れ幅もたぶん大きい。
どっちの人生がいいとか悪いとかはない。
でも、少なくとも私は人の目を気にすることをやめた、ちゃんととがっていこうとしている彼らみたいな人に自分もなっていきたいなあ、と思った。
多分、衝突だってある。八方美人にはなれない。そのうち2CHで私のことが書かれてDisられるのかもしれない。
でも、それを「構わない」「気にしない」っておもって、どんどん自分を出していけるような。そんな生き方。
人の目を気にしながらこそこそ生きてくのはもう飽きた。