またもやディベート話。どうしようもないよね、だって、シーズンなんだもの。 さて、今回は死刑論題・救急車論題共によくある『証拠資料(データ)に頼りすぎることの危険性』について書いていこうと思います。例によってあくまで、私見にすぎず、NADE本体はおろか関東甲信越支部の公式見解でもありません。今回書いていくことは2つ「データで勝とうとし過ぎるな」「全体のストーリー把握を怠るな」   1、みなさん、データに頼りすぎです。データで勝とうとしすぎです。 具体的な例を挙げるならば、死刑論題における犯罪抑止効果ですね。いつもたくさんデータが出てきますが、相手がよっぽど不準備でもない限り、ここの論点をデータだけで勝ちにすることはおそらくむつかしいと思います(私見ですが)。なぜなら、犯罪抑止効果があるというデータも、ないというデータもたくさんあり、そしてどちらもかなり統計的に不透明な部分が多いため第三者であるジャッジにはそれら双方の資料の質の判断までは難しいからです。 でも、少なくとも春大会の段階ではここで競り勝とうとしているチームが結構見られました。データは万能ではありませんし、双方が出してきた場合の優劣判断が大変難しいケースが多いです。第三者であるジャッジにきちんと自分たちの資料が勝っているという説明をし、それで納得してもらえるという確信があるならそれもいいと思いますが、そうでない場合はここだけで勝とうとするのは運任せなのでやめたほうがよいでしょう。   2、全体のストーリー把握を怠るな。 また、同じように資料に頼りすぎていて『全体のストーリーを描いていない』ということも散見されました。いい資料を基調に立論を練ることもまあたまにありますが、資料はあくまで全体のストーリーのなかの一部です。こちらは救急車論題で例を挙げましょう。よくある資料で昔救急車到着までの時間の平均が5.6分だったのに今6.2分になりました、というものがあります。これを理由に、肯定側は時間が伸びてて問題!と主張する。・・・ただ、これってほんとうにおいしい反駁なのだろうか?1分であらそうということが。 これはあくまで着眼点の1つを例示するにすぎませんが・・・たとえば、あくまで『平均』なんですよ。1分でつく人もいれば、20分でつく人もいる。その、平均、なんですよ。救急車の到着遅れによって何を実質的に困っているのかというと、措置の遅れ、ですよね。措置がほんとうに間に合わなくって困る例って20分くらい搬送にかかってしまった人、とも考えられませんか?つまり、搬送時間の『平均』はそんなに縮まっていなかったとしても、極端に現状で長くかかっているところさえカヴァーできれば、今よりも良くなるというストーリーもあるのではないでしょうか? こんかい一例としてデータにおける『平均』という言葉について考えましたが、これは以外といろんなところで使えるので着眼点として覚えておくと役に立つかもしれません。 あとは、データ・試算などは所詮は『結果』の部分にすぎないです。あくまで一連のストーリーの上にデータがのっかているのであって、データがすべてを表しているということはありません。これはデータをとるためにはあるシミュレーション(ストーリー)があって、そのシミュレーションに沿って算出したときに出るのがデータである、というデータの取られ方を考えればわかると思います。   なんだかくどくなってきたのでこのへんで。