くrこです。昨日のゼミではみんなで『自治体の議題設定に関する時系列的分析ー松戸市の孤独氏暴政政策事例をもとにー』ということで、『孤独死』の問題についてディスカッションしました。 孤独死というのは、2001年に老人が一人で家でなくなっているのが発見されたのをきっかけとして言われるようになったことなのだそうです。ちなみにその老人は、死後3年間放置された状態で発見されました。・・・公共料金が、引き落としになっており、順調に引き落とされていたために、周りは気がつかなかったのだそうです。 友人が発表した論文の中身についてもかなり興味深いものだったのですが、そのあとの先生のコメントとして、あった『でも、孤独死という減少自体は、きっと2001年より前からあったんだろうね』というコメントにはっとしました。 たとえば、少年犯罪がすごく問題として取り上げられるようになってきたのは、まさに私たちが中学生?くらいの頃だったと思います。でも、果たして現象としての『少年犯罪』はそれまではあまりなかったのでしょうか? おそらく、これは違うだろう。 いわゆる『少年犯罪』は当時は『非行』という言葉で定義されていたのではないか。『非行』という言葉に分類されていたのではないか。 結局、人間は世界を把握するとき、外界を言葉にすることによって、切り出すことによってしか認識できない。同じ客観的現象であったとしても、それをどう言語化するのか、概念として落とし込むのかによって、把握のされ方がかわってくる。 そして、たとえ同じ現象であったとしてもそれを定義・分類した言葉・概念がことなると、どうしても社会一般では異なる社会現象として浮かび上がり、異なる社会問題として取り扱われ、浮かび上がってくるのではないだろうか?   私は政治学ゼミにおいて社会現象について取り扱うことをしているけれども、そのときには、釈迦一般で言われている言葉・概念を把握するだけでなく、その具体的現象についてもできるだけ知ることによって、現状をありのままにとらえていきたいなあ、と。 ちょっとまじめなことを考えてみた。